學のために出來たのである。王應麟の學問は色々の點で後の清朝の學問の本になつたが、この人は辭學をやるに就て、それが色々の點に及び、目録學に於ても一つの特別な方法を考へた。即ち昔の目録に載つてゐて現存せぬ本に就て、或る點までその本を復活して、その本の大體が分るやうにする方法を考へた。それは多くの古書の中よりその本に關する事柄を抽出し、それによつてその原本の大體を知り得るやうにするものであるが、この方法は清朝の學問に大いなる關係がある。又單に本の内容を窺ふのみならず、その本の出來た由來又はその本に關する昔の批評等を集めることもした。元來の目的は辭學の爲めであつたが、その結果は史學のためになるやうに出來上つたのである。
 文獻通考は王應麟の玉海が詞學のために作られたのに對して、當時の策學のために出來た。策學といふのは、王安石が科擧の法を一變して、試驗の中に論策を書かせることにしてより、古今の政治その他の沿革を知る必要があり、馬端臨の前にも既に策學の爲めに書いた本があり、馬氏のも大體通典を學んでそれが策學に役立つやうに書いたものであるが、その出來榮はやはり單に策學の爲めの目的より遙かによく出來て
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