きかといふ論がやかましい。とにかく前後を通じて一つの通史を考へるときには、かかる論は自然に起る。この正統論に春秋の法を用ひて通鑑に應用したのは朱子の通鑑綱目である。春秋の義法を歴史に應用したのは新五代史が著しいが、これは正統論とは無關係で、部分的に褒貶をしたが、朱子の通鑑綱目は、春秋の眼目たる大一統主義を根本に置いて歴史を書き出さうとした。勿論一字一字の褒貶もあるが、それは大一統主義から出てゐるので、之を通鑑の事實に應用した。司馬光は通鑑を書くのに、褒貶をせずに事實を書けば自然にそれが表はれるとして、左傳の體で書いたが、朱子はそれで滿足せずに、春秋の本文に倣ふまで復古した。これは宋代に於ける歴史の主義の著しい發展である。
 宋代には史學の補助學で發達したものがある。即ち金石學である。金石を歴史の考證に應用することは前からあり、秦權を以て史記の中の文字の誤を考證したことが顏氏家訓に見えてゐる。引きつづいて唐から五代にも漸次かかる傾向があつて、郭忠恕が汗簡を作つた時、金石中の古文を引用したことがある。しかし多くの金石を集めて、それを史料としたのは、宋の歐陽修の集古録に始まると云つてよい。金
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