ことが出來ぬが、ともかく非常に澤山の書を集めて作つたには違ひなく、その中に多くの史料を含むことは、原本でない説郛でさへ、いくらかその中に史料としての著述を見ることを得ることによつても知られる。
 この時、地理に關することでは、南洋に關する外に蒙古並びに西域に關する紀行類が多い。これは勿論元が歐亞にかけて大版圖を有した爲めで、創業の際の征伐に關し、儒者・道士が時の天子に召されて行つた紀行とか色々あつて、それは今日でも蒙古・中央亞細亞に關する有力な史料となつてゐる。
 明になつて元史が出來たが、元史は歴代の正史の中でも最も評判の惡い歴史である。それは餘りに短日月に編纂された爲め、同一人の傳を二度書きなどして粗雜の點があり、又最も體をなさぬのは、文牘をそのまま修正せずに載せたので、文章が惡く、歴史の體をなさぬといふにある。元代は詔勅を蒙古語で出し、それを譯するには、古文を以てせずして、當時の俗語のままに譯するが、これをそのまま歴史に載せてゐることがある。かかることが攻撃されてゐるが、これはこの一代だけで、後にはかかることはなくなつたが、史料をその儘使ふといふことは、却つて唐以前の歴史編纂の原則であつて、偶然にもその原則が復活したと見ればよい。尤も六朝のは四六文であつて、それをその儘歴史に入れても、文は美し過ぎるが粗雜には見えぬ。元代のは史料が俗語である爲めかかる攻撃を受けたのである。大體元史は纏まつた歴史としては體裁をなさぬが、史料として取扱ふには面白い處がある。
 元史は明の初めに出來たが、大體明初には元の風を承けて大部の編纂が流行した。朝廷の編纂として大きなものは永樂大典であつて、これは古今の書籍を網羅した類書であるが、後になつてその中より多くの史料を見出した。清朝になつて學問が盛になり、勅命で作つた四庫全書には、永樂大典より數百部の書を抽出して入れたが、この中には多數の史料を含んでゐる。永樂大典は當時の史學には役立たなかつたが、後世の史學を益することが多かつた。その他にも歴史に關するものでは、歴代名臣奏議の編纂があり、これは非常に大仕掛なもので、當時のみならず、今日でも史料として有益である。
 又明初には宋元以來續いた南洋貿易を更に擴張してアフリカ沿岸まで及ぼしたので、この地方を西洋と云つた。當時の東洋・西洋とは、今の南洋の中を二つに分けた名稱である。この西洋に關す
前へ 次へ
全18ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング