、通典と共に後の史學に役立ち、一種の文化史のやうなものになつた。この二つは目的は必ずしも史學の爲めでなかつたが、史學にとつては重要な著述となつた。
宋より元にかけて、一種特別のものが出來た。それはこの時代が支那に於ける地理發見時代とも云ふべき時であつたため、南洋交通に關する本が色々出來た。南宋頃から南洋との貿易が盛んになり、その爲め南洋の風土産物に關する單行の本が澤山出來た。近年有名になつたのは趙汝※[#「二点しんにょう+舌」、第4水準2−89−87]の諸蕃志である。尤もかくの如く南洋に注意するに至つたのは、唐代のアラブ貿易の發達に基く。かくて元の末年には汪大淵の島夷志略があるが、それまでにも色々の著述がある。これは又最近に西洋學者がアラビア貿易のことなどを研究したり、印度洋方面に關する研究の史料として用ひることになり、殊にこれらの著述が目立つて來たのである。
元代は史學の上に格別著しい變化はない。しかし元代はその領土が大であつたのと同時に、朝廷に於ける編纂にも大部のものが企てられ、その中で經世大典などは八百餘卷に上るものであるが、今日は纏まつて殘つてゐない。制度文物に關する元代のあらゆることを網羅したものであるが、その制度を書くのに、その由來を記し、それに關係した事實までも記してゐる所から、今日僅かに殘存する殘缺でも史料として役立つことが多い。殊に今日の元史も大部分は經世大典によつたらしく思はれる。恐らく元代のことは大體經世大典によつて、今日我々が見ることの出來るやうになつたのであらう。清朝に至つて、元代の古い著述を搜索した時に、現存の經世大典の一部を書き拔いて特別な著述のやうにして世間に出したものが色々あつた位である。その他民間の編纂のものでも、この頃より叢書が盛になつた。これは昔の本をその儘集めて、それを一つの纏まつたものとする方法で、今日存するものでは、宋代の百川學海が最も古いものである。その中に入つてゐるものは各種のものに亙り、必ずしも歴史ばかりではないが、史料となるべきものが多い。宋代の役所の故事などは、百川學海に收められてゐるものからして知り得ることが多い。これは南宋の左圭の作つたものである。元末に至り陶宗儀が輟耕録を書き、元代の故事雜説を集めたが、彼は又説郛といふ大叢書を作つた。現存の説郛はその原本でないといはれ、彼の原本の體裁は之によつては知る
前へ
次へ
全18ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング