準として、その以前の本をしらべ、その竄亂の程度を知り、更に遡つて呂子春秋の如き戰國の著述に及ぶのである。呂子春秋は、その頃の百家の學者を集めて作つたものであるが、之を中心として韓非子、それから今少し上の荀子と云ふ樣な者、更に一段上の孟子、墨子と云ふ樣な者、その前後に關係ある管子、晏子春秋、國語、國策と云ふ樣な本によりて、更にその以前の古書を判斷し、それで始めて多少なりとも戰國の頃まで存在した經典の如何なる者たるかゞ解るのである。
 其れ以上の經典の實體を知らんと欲せば、金文による外ないが、金文はその遺物の眞贋を判斷する爲に茲に一の困難に遭遇する。けれどもその金文と遺物の研究とが相俟つて、次第に歩を進めつゝあることは、近年に於いて著しい傾向である。概略を云ふならば、今日まで現はれた金文の確實なものから推して周初、成王康王當時のものと、西周末夷※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]宣幽時代のものとは確然たる區別がある。即ち成康時代のものは、今日の尚書の周書に類し、西周末のものは詩に類して居る。で、この標準を以て研究すれば、經書の最古最大なる二つ丈は、精細な研究が出來るのである。
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