其れ丈で滿足することが出來ぬ。即ち前にも云つた如く、殷墟の遺物を標準として、古書の解剖に從事して、漸く支那文化の根原がおぼろげながら明かになるのである。殷墟の遺物によりて、虞夏書又は洪範などの眞僞竄亂を調べて見たならば、必ず發明する所が多い筈である。
若し一層遡つた時代、即ち殷墟以上の古蹟が發見されたならば、一層信憑するに足る文化史の源泉を繹ねることが出來て、支那研究は一層進歩するであらう。今殷墟の遺物で見れば、その多くは石器、骨器の類であるが、多少銅器が出て居る、それ故支那の文化史はいまだ銅器時代から以上を見ることが出來ないが、此際銅器の全く出ない古蹟が發見さるれば、支那文化の起源が幾千年前にあるか、或は何時代に當るかを研究し得るのであるが、遺憾ながら未だ發見されない。けれども、何處かにさう云ふ古蹟の存在することは疑ふべからざる所で、其の場所も大體どの地方と云ふことが解つて居るから、何時かは發掘しうることゝ信ずる。
又この外に新しい舊い神話傳説を含んだものを研究する必要がある。たとへば詩、楚辭、山海經と云ふ樣な者、それ等のものが主となり、それによりて緯書その他の研究が、古典學に貢
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