研究から、金文、殷墟の遺物の研究に進むであらうといふことが明かである。この方法を以て新しい研究法を組み立てたならば、始めて支那古典學と云ふ者が、所謂科學的に進歩し得る者と思ふ。
從來の研究の缺點、殊に日本の學者の缺點は、その研究法の組織が立たずに、單に或る書籍に就いて、專心に穿穴して、その點については非常に得る所があり、一經貫通の努力と成績とは賞するに餘りあれども、古典學の全體の組織には何等の加ふる所がなかつたのである。若くは寡聞を以て博大なる學問の一部分のみを取つて、その全體を判斷した爲めに、其の結論に於いて大なる誤謬を生じたのである。で、此等の學者の多くは何等の理由もなく漫然と或種の古書に信を置き、それを根柢として其他の書籍の價値を低く見積り、それによりて方法を立てるので、斯る缺點は獨り日本人のみならず、例の有名なる崔述の考信録なども、さう云ふ考によりて出來た者である。即ち尚書左傳など云ふ者を始めから確かな者と信じて、その成書の源委、事歴等に就いて何等の疑ふ所がなく、古史官の書いたものだから、是れ以上確かな者がないと斷じ、それ以外の古書は皆尚書や左傳に引當てゝ、それに合ふ所を事實
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