併し近代になつてからは、公羊學が盛になつて、その結果として從來許鄭の學を根柢として、經書の解釋に於いて、其説を疑はぬことにして居た家法を破つて、公羊學の流行した西漢の後までは疑つても宜いと云ふことになつた。これは支那古典學の一進歩であるが、今一歩進んで公羊學のまだ盛にならぬ時代、即ち儒家が學問を統一しない時の學問を根柢として西漢の學を疑ふ樣になれば、茲に第二の進歩が生ずる譯である。最近に於いては多少さう云ふ傾向を持つた者もある。
古典に對する研究が大體以上の傾向をもつて進んで居る處へ、一面に於いて、金文の研究が盛になつてからは、それに據つて經文に疑問を挾む人も出來たのである。けれども、この派の學問はまだ十分に盛大を極むべき運に向つて居ないが、近來殷墟の發掘によりて其の遺物から推して、新しい研究法を發見し、それを經學の準據とする人が出る樣になつた。これもまだ十分ではないが、併し大體に於いて、從來研究法の發達から考へて、その歸著すべき場所が明かに解る樣になつた。
即ち從來の研究を概括すれば、乾隆嘉慶の間は許鄭の學が盛んであり、道光以後は公羊學に進み、さうして今後進むべき道は、先秦古典の
前へ
次へ
全10ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング