研究から、金文、殷墟の遺物の研究に進むであらうといふことが明かである。この方法を以て新しい研究法を組み立てたならば、始めて支那古典學と云ふ者が、所謂科學的に進歩し得る者と思ふ。
 從來の研究の缺點、殊に日本の學者の缺點は、その研究法の組織が立たずに、單に或る書籍に就いて、專心に穿穴して、その點については非常に得る所があり、一經貫通の努力と成績とは賞するに餘りあれども、古典學の全體の組織には何等の加ふる所がなかつたのである。若くは寡聞を以て博大なる學問の一部分のみを取つて、その全體を判斷した爲めに、其の結論に於いて大なる誤謬を生じたのである。で、此等の學者の多くは何等の理由もなく漫然と或種の古書に信を置き、それを根柢として其他の書籍の價値を低く見積り、それによりて方法を立てるので、斯る缺點は獨り日本人のみならず、例の有名なる崔述の考信録なども、さう云ふ考によりて出來た者である。即ち尚書左傳など云ふ者を始めから確かな者と信じて、その成書の源委、事歴等に就いて何等の疑ふ所がなく、古史官の書いたものだから、是れ以上確かな者がないと斷じ、それ以外の古書は皆尚書や左傳に引當てゝ、それに合ふ所を事實とし、合はぬ處を否定すると云ふ樣な譯で、斯る研究法はどちらかと云へば、漢代の王充が著した論衡などに比してさへも常識を缺いて居る。論衡の説には、經書は久しく缺けて、その佚文が諸子百家に出て居る。故に諸子を以て經書の缺漏を補ふと云つてあるが、今から考へて見れば、實は經書と云ふ者を順次に晩出の書からして、上代にまで遡つて調べた上、割合に竄亂のない本に根據して、更に一段と舊い處を研究して行く方法を取るでなければ、確實に信憑すべき定論に達することが出來ないのである。古書の竄亂の箇所は、晩出の書によりて判斷することが出來るものである。かういふ考へ方からかりに研究の順序をまとめて述べて見れば、先づ劉向父子の遺著、漢藝文志、それから揚雄の法言、方言、王充の論衡と云ふ樣な、即ち前漢末、後漢初の著述を一の標準として、其の以前の古書がどこまで其の標準よりも古い實質を保存して居るか、又どこまで竄亂があるかと云ふことを一應判斷し、それから今一歩進んで、史記を中心として、同時代の董仲舒、それから今少し前の淮南子、賈誼新書とか云ふ者、即ち秦火の厄に罹つた後、古書が始めて世に出でた時、間もなく著述されたあらゆる本を標
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