樣であります。それから第二が諸子、第三の劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略の方で詩賦となつて居るのが文翰となつて居ります。第四の兵家と昔云つたのが名前が變つて軍書となつて居る。それから其の次の數術といふのが陰陽となつて居る。其の次の方技といふのが術藝となつて居る。これで大體劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略の中、六略だけの目録と其の分類が同一であるといふことが分るのでありますが、此の外に第七として圖譜といふものを作つた。即ち地圖とか系譜などを集めて第七に置きました。これは劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の如く書物の總解題といふものは無かつたのでありませう。其の外に、此の時は既に佛教道教が行はれて居りましたから、佛教道教の本が附いて居つた。それから劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]以來の目録に缺けて居る本を特別に擧げて居たといふことでありますが、それはしかし此の部類分けの數には入らぬのであります。兎に角七つに分けて、さういふ附録が附いて居る。これは王儉の目録の分け方でありますが、これも今日は傳はりませぬ。
それから其の次は、南
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