して、それに依つて晉の荀※[#「瑁のつくり+力」、第3水準1−14−70]が四部の目録を作つた。其の時、これを甲乙丙丁に分けた。其の順序は、經書が第一、諸子類が第二、歴史が第三、詩文集が第四となつて居る。所がそれから後になつて順序を變へた。晉は間もなしに非常な亂世になつて、王室は長江以南に逃げて、其の時に有らゆる本が皆無くなつた。それから江南地方で國を中興して東晉になりますが、此の時代に李充といふ者が四部の目録を作つた。此の時に順序が變つて、今日の如く經書、歴史、諸子、文集といふ順序になりました。此の荀※[#「瑁のつくり+力」、第3水準1−14−70]、李充の分け方が今日の四部の目録の始めであります。
 しかし此の四部の目録が始まると、其の後皆此の法を採用したかといふとさうではない。後になつて又七部に分ける目録の作り方が行はれて居る。それは南朝の劉宋の時であります。其の時にやはり官の書籍を調べた王儉といふ人が七志といふものを作りました。それで此の分け方は、經典といふのが一つで、これは經書と歴史と一緒になつて居る。これはやはり劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略の分け方と同
前へ 次へ
全37ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング