に復して、さうして其の本の源流を論じ、其の本の得失を論じ、それから何處が亡くなつて居るとか、存在して居るとかいふことを論じてやるべきことで、單に鄭樵のやうに解釋を省いて、書名だけを書いて置けばよいといふやうな議論はいかぬと言つて居る。此の人の議論は勿論鄭樵の議論に刺戟されて出來たのでありますけれども、鄭樵のよりは一段と意見が進歩をしまして、さうして支那の本はどういふやうにして出來上つたか、目録はどういふやうに編纂すべきものであるかといふことまでも根本から論じておりまして、支那の目録に關する意見としては、最も完全に、最も明快なものであります。それで今日に於て支那の目録の學問を知らうといふのには、どうしても此の章學誠の文史通義、殊に校讐通義といふものを讀まなければならぬと思ひます。私がこれまで段々申しました所の大體も、謂はゞ其の全體は校讐通義の敷衍をしたやうなものでありまして、一々特別に自分の考で言つた譯ではありませぬ。しかし何處が章學誠の議論で、何處が私の敷衍した處であるかと言はれると、一寸明かに御答が出來ませぬが、大體私は章學誠の本を平常愛讀して居りまして、常に記憶して居る所に依つて大
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