體お話をいたしました。
 つまり支那の目録といふものは如何に變じたか、昔と今との得失はどういふものであるか、目録學はどういふやうに成立つて居るかといふことを、大體申上げたつもりであります。尤も此の外の支那の目録には、佛教の目録が大部分を占めて居ります。さうして佛教の目録は完全に出來て居る。どの點から見ても搜し出せるやうな方法を取つて居る。書名から引出せる、佛教の本は大部分は飜譯でありますから、飜譯者の方からも引出せる、有らゆる方面から引出せるやうに進歩して居る。これは目録學を離れて、檢索の方から申しますと、開元並びに貞元の釋教録などゝいふものは、大變進歩した方法を取つて居ると思ひます。これに就ては、勿論特別に論ずる價値は十分にあります。しかしながら佛教の目録を論ずるといふことは、手數のかゝることでありまして、私はそれに暗いのであります。今日は私の平生承知して居る事柄に依つて、其の大體を茲に申述べた次第であります。長い間清聽を涜しました。
[#地から1字上げ](大正二年大阪府立圖書館に於て圖書館協會大會講演)



底本:「内藤湖南全集 第十二卷」筑摩書房
   1970(昭和45)年6
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