12]其の人の頭の中には立派な意見がありましたのでせうが、其の總論として目録學を形作るやうな、はつきりした著述は現はれて居りませぬ。その頃明かに目録學の意味を現はして、殆ど一つの學問として認められるやうにしたのは章學誠といふ人で、文史通義といふ本を書きましたが、其の外に校讐通義といふものを書いて居る。この校讐通義は單に三卷の微々たる本でありますが、其の中一卷が校讐の總論であつて、第二卷第三卷は漢書藝文志の評論であります。それから鄭樵の意見を評論し、焦※[#「立+(宏−宀)」、第4水準2−83−25]の國史經籍志の意見なども評論して居るが、これが非常に組織的に目録の學問を論じて居る。それで目録の學問といふものは、これは劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の昔やつた法則を復興すればよいものである、鄭樵は種々議論を附けて居るが、未だ至らざる所がある、謂はゞ劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が書物の評論を爲し、得失を論じ、源流を正して、役に立つやうに批評するといふのが、目録の眞意である、其の通りにすれば眞の目録である、其の外は目録にならぬといふ議論であります。しか
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