であるといふやうなことを言うて居る。所がどうかすると、今日我邦で行はれて居る解題の本などにも、さういふ解題が折々あります。解題の意味と本の名の意味と重複して、本の名を見れば解題を見なくとも分るものを、強ひて解題して居るものがある。さういふことは、今日の目録の弊にも的中して居る。さういふ點に就ては、此の鄭樵といふ人は頭腦の明敏な人であつたと見えて、今日でも役に立つ説があります。
其の後、かういふ學問をする人は餘りありませぬ。國史經籍志を書いた明の焦※[#「立+(宏−宀)」、第4水準2−83−25]もさういふ心があつたに相違ないが、鄭樵の如く細かな意見をはつきり現はして書いたものはありませぬ。國史經籍志の末にも校合の記録はあるが、目録學として精細な内容に關係して書いたのはありませぬ。清朝で四庫全書總目を作る時になつて、天下の學者を集めて、有名な紀※[#「日+(勹<二)」、第3水準1−85−12]といふ人が總裁をして作つたのでありますが、此の時に目録が復興しましたけれども、その學問はまだ興りません。大勢の學者を寄せて編纂をするのでありますから、紀※[#「日+(勹<二)」、第3水準1−85−
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