たといふものが一々注にそれを書きつけてある。何々の本は梁の目録にあつたが今日は亡くなつた、何々の本は梁の時は何卷であつたが今日は何卷しか遺らないとかいふことが書いてある。これは目録を作る上に於て、一つの大切なる事柄でありまして、これがあるといふと、現在ある本は完全なものか否かといふことが分るのみならず、不完全なものは不完全だといふことを記録して置くと、其の遺つたものがどういふ機會でか現はれ來るべき、其の本を搜す機會を與へるのであります。これは大變に大切なことになつて居りまして、これは隋書經籍志まではありますが、其の以後の目録には無いので、此の點に於ては、其後多少昔の意味を復興しようと考へた人はあります。これは清朝の學者などは、明の代の學者とか本といふと、力めて之を輕んじて見る傾きがありますが、國史經籍志といふ明の萬暦年間に焦※[#「立+(宏−宀)」、第4水準2−83−25]といふ人の書いたものがあります。これは正史の藝文志でも經籍志でもありませぬが、宋以來の目録の作り方と違つた目録、即ち古代風の目録を作りました。それは明の末で分るだけの本の目録を全部作り、それに存佚を皆書きました。これ
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