はつまり亡くなつた本の目録を傳へて、之を搜す便りにする方法の或る點を復興したのであります。
 それから其の次には、この分類の性質といふものゝ大切なことを論じて居る人があるのであります。分類の性質によつて昔の本の意味をどういふ風に解釋したかといふことの大切な參考になります。手短かに申せば易であります。易は後世の學者によつて之を解釋されまして、あれは單に卜筮をする爲の本である、或はさうでない、あれは其の中に含まれて居る義理が大變に尊いのであつて、單に卜筮をする爲に出來た本ではないといふ爭論があります。所がこれは漢書の藝文志、即ち劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の分類の法に依つて、當時の人がどういふやうに解釋して居つたかといふことが分るのであります。さういふことは、目録の分類の仕方に依つて利益を得ることがあります。これはやはり古い目録のやり方の大切な所であります。劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の見方に依ると、易はやはりその時代には之を義理の書として考へられて居つたといふことが分ります。それはどういふ譯かといふと、劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86
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