の立派なる目録と謂つて差支ないのであります。これは勿論内容に立入つて、其の批評の仕方を、劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]と同樣の價値を以て見ることが出來るかといふと、これには種々議論があつて、それは或る點は昔のものより勝れて居る所がありませう、又或る點は學問上偏狹になつて居る所があるといふやうなこともありませう。しかし兎に角目録を立派に取扱ふといふ方から申しますれば、清朝の四庫全書總目提要といふものは、昔の目録に立返つて立派なものが出來たと謂つてよい。
これは大體の變遷でありますが、段々細かいことになると、其の間に又種々變遷があります。それは漢書の藝文志若しくは隋書の經籍志などに、一つの特長がありますのは、亡くなつた本の目録を書くといふことで、漢書の藝文志は、大體書名として亡くなつたものを書いては居りませぬが、其の篇數など内容に就きましては、どの篇が脱けて居るとか、どの篇が遺つて居るとかいふことを現はして居ります。隋書の經籍志に至ると、單に隋代の目録ではなくして、其の前五代の目録を作つたのでありますから、即ち唐の初めには既に亡くなつて居りましても、梁の時の目録にあつ
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