書きをしたりなにかした所、自分の考へのある所を附けたものが見えるのであります。しかし今日ではやはり其の自分の意見を書きました所のものは存在して居りませぬ。これが七つに分ける種類の最後の目録であります。此の時までは七つに分けましたが、此の以後は七つに分ける目録は無くなりました。しかし此の時に七つに分けて居るのは、既に前の劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]時代の七つの種類とは内容が違つて居つて、大體四部の方に近くなつて居る。内篇の五部に分れて居るのは、梁の時に分けた五部と同じやうな形になつて居つて、それに佛教道教が附いたのでありますから、段々四部の目録に近寄つて來て居る。それでつまり此の部類分けの變遷を申しますと、漢以來六朝までの間に、段々七部の目録からして四部の目録に變りつゝあつたといふことが分ります。これは單に部類分けの仕方の變り方といふばかりではありませぬ。やはり段々本が殖えて來る、その殖え方の意味が其處に現はれて居りまして、どういふ種類の本が殖えて來た爲に、四部に分けなければならぬことになつたかゞ、其の間に現はれて居ります。それ等のことを論じた人もありますが、其のことは後
前へ
次へ
全37ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング