ことが段々發達しますと、昔は暦日天文の事が餘程大切なことになります、數の發達したのが古代では天文の職務であります、そこで大史の職務の中には天文の職務が主もなる職務になつて入つて來た、それから段々史といふものが筆を執つて物を書くやうになつたらうと思ふのでありますが、兎に角史官の起原は然ういふ所から來た、それは何時代頃からかと云ふと、殷虚の龜の甲に書いてあつた所から觀れば、殷代には既に在つたらうと思ひます。
夫から史官の盛んになつたのは周の時代と考へます、周の時代には史の職務を苗字同樣にしたものがあります、史某、大史某、内史某と云ふ人もありました、殊に周の制度を建てた者で周公と並び稱せられた史佚といふ人があります、之は傳説に依れば周公と並んで聖人と稱せられました、即ち史官で最も豪い人は聖人とも稱せられました、今日知られて居ります所に依ると、殷代では史と云ふ職務の人に豪い人が無くて、却つて巫某といふ人に有名な人がある、例へば巫賢、巫咸などがあります、殷では鬼神を祭ることを尊ぶ風俗があります、そこで殷代では神を祭る方の職務の巫の方に賢人とも謂はるゝ宰相同樣の人があつたが、夫が周代になつて史と
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