ことで、種々中等學校の課業に對して研究して居られるので隨分大切な問題も出て居るやうであります、昨年あたりも種々の問題が出て居りまして、夫が決議されました結果相當の效力を收めて居るやうに聞いて居ります、今年はいろ/\歴史上の問題も出て居り、私の關係して居る東洋史の教授に關係したことも出て居りますが、今日のお話には全く關係のないことでありますけれども、それに就いて一言御注意を申上て置きたいと思ひます。それは何處かの學校から御提出になつたことで「東洋史の教授を左の方針に改むるの可否」と云ふものが出て居ります、即ち近代史を主として古代史には近代并に日本に關係あることを授くる云々といふことであります、私も斯ういふ風な考を曾て持つたことがあるのでありますが、中等學校で歴史科を始めます時は第一に國史を教へられるのでありませう、其の國史を中心として外の東洋史でも西洋史でもそれに關係あることから教へてゆくといふことは學科の關係上都合の好いことであらうと思ひます、其の授けられる方法に於ては私は其説を至つて贊成を致します、それから又教科書の方針も多少然ういふ風に改めると云ふやうなことも全く不贊成でありませぬ、只だ斯ういふ風な問題が出ますと此の説が可いと云ふことになつて、然うして其の方針で以て教科書を作ると云ふことになつて、何うかすると今迄の標準をスツカリ變へて了つて、新らしい標準に據つてやる考が出て來る、其時は又何うかと云ふと、今まで餘り一般的歴史家を養成するやうな項目を授けて居つたのが、殊に極端にひつくり返つて、餘り一方に偏した考への教科書の續出する憂が無いかと心配いたします。東洋といふ中にも、支那とか印度とか又中央亞細亞の國々もありますが、殊に支那のことなどに於きましては、日本との關係は多少西洋の諸國から東洋のことを知るといふやうなことと譯が違ふ點があらうと思ひます、日本の支那に於ける關係は、日本の文化を獨立したものとしての考から申しますと、日本の文化の起原は日本の開闢から獨立してあると考へて居れば、一番都合が好いのでありますが、多少公平に之を考へますと、日本の文化は普通二千何百年間知られて居る、その日本の歴史が始まつた時、其時に日本が有つて居た所の文化は、日本が根本から必ずしも有つて居たのでなくして、矢張り前に發達した國から其の文化を受けて居ることを承認しなければならぬ、然うします
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