、内史のことは、大體合ふ所もあるのでありますが、其中最も早く出來最も重い官でもあり亦最も史官の根本でもあつたらうと思ふのは、大史小史を一緒にした史といふものであらうと思ふ、其の史の中の分職で王の直領のことを掌る者が内史と云ふ者になつたらうと思ふ、其の大史小史の職務の中で今文と古文と一致して居るのは射禮の時に弓の數取をするといふことだけであります。
支那の古いことを研究しますのに、文字の研究からすることがあります、それで史といふ字は一體どういふ字かと云ふことの研究が從來何うなつて居るかと云ふことに就て少し許りお話をして見たいと思ふ、何時でも古い文字の研究に引出されるものは、後漢の中頃に出ました許愼の「説文」といふ字書である、説文は文字を皆篆書で書いて居るので史の字は「※[#「※」は「史」の篆書体、読みは「し」、153−3]」斯ういふ形になつて居る、説文は之に何ういふ解釋を下して居るかと申すと「史記事者也、从又持中、中正也」とあります、又は物を持つ手の形で、説文には又に中を持するに从がふ、中は正なり、此の解釋を申しますと、中は正なりで史官は昔から正しいことを書く筈の者だと云ふやうに説文は解釋して居る、實は之は史官が始めて出來た時の史の解釋としては信用が出來ない、是に對して昔から學者の間に異論があるのであります。
近年支那で古い文字を大に研究しました人に呉大澂といふ人があります、之は日清戰爭の頃には湖南巡撫の官で防禦軍の大將として出て來た人でありますが、此人は古い文字の研究家であります、此人が説文の史字の解釋に異論を唱へて居ります、この人の解釋では中正の中といふ字の古い銅器などに出て居る形を見ますと「※[#「※」は「中」の篆書体、読みは「ちゅう」、153−9]」の形をして居らぬ、「※[#「※」は「中」の篆書体別体1、読みは「ちゅう」、153−10]」の形になつて居る、之は旗の形を現はしたので、即ち中の字の本來の形である、史の字の中の部分は之とは異つて居るので、之は簡册の形で史は手に簡を執るといふ字だと解釋して居る、又清朝の始めに有名な江永といふ學者がある、江永の有名の著述に、周禮疑義擧要といふ本がある、その中に凡そ官府の簿書は之を中といふ、夫で昔秦の始皇の時には治中と云ふ官がある、又周禮の中にも小司寇の部に、庶民の獄訟の中を斷ずると云ふやうなことがある、之は中といふの
前へ
次へ
全14ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング