ります、矢張りこれが大史を助けて弓の數取をする職務のことを書いてあります。
 それから内史、外史であります、内史は尚書や左傳の中にも出て居ります、策命を書する事、諸侯や何かに策命を下す時に掌ることが書てあります、是だけは古文も今文も一致するのであります、其外、内史に關係しますことは漢書の百官公卿表にあります、其處には内史は周代から在る官であつて秦の時代にも周の制度に由つて内史といふものがある、何ういふ事を掌つて居るかと云ふと、百官公卿表に在るものは天領の政治を掌る者を内史と云て居ります、そこで周禮の方に返つて來て調べて見ますと云ふと、詰り王の八通りの職務を掌ると云ふことと多少關係を有ちます、右の如く内史の官に於きましては古文學派の説も今文學派の説も合ふ事になります、外史に關することは今文には全く見えないが、左傳には單に「外史を召して惡臣を掌る」と云ふ事が書いてありまして、周禮にある外史の職務とはトント合はないのであります、外史の職務が同じ古文の中でも、周禮と左傳と合はないとしますと、判然した事は分りませぬ、御史の方の官は矢張り漢書の百官公卿表に之は秦代からある官であると書いてありますけれども、實はモツト前から在りますので、何誰も御承知でありませうが有名なる※[#「※」は「さんずい+黽」、読みは「めん」、第3水準1−87−19、152−5]池の會に秦王が趙王に瑟を鼓せしめ、趙王が秦王に缶を打たしめた、その時に各々御史をして其事を書かしめたといふことがあります、夫は祕書役のやうなものであると思ひます、秦の始皇の時代になつても最初は王の手許のことを掌る役で祕書役であります、支那のやうな長い專制の政治の國では、君王の左右に居つて祕書役をする者が大いなる權力を占めます、支那の歴代官制の沿革を觀ますと、大抵王の祕書役であつた者が後に宰相の職に變化して居る、秦以前の御史は王の祕密の役人であります、それから漢の時は三公の一に加はるやうになつて來た、所で其の變化は分つて居りますが、周公の制度とも云ふ可き周禮に其官が在つたと云ふことは信じられないと今文學者の方は言うて居る。
 其處で此の五つの史のことを考へて觀ますと、古文と今文と好く合ふ點と合はない點の在ることが判ります、外史と御史は今文と古文と合はぬ、それが周の時から在つたことは信じられぬといふことになつて居ります、それで大史、小史
前へ 次へ
全14ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング