が、邵晉涵が此篇所釋、始乎明、終乎幽也といつた所から考へると、釋詁篇が單に始也に始まつて、終也に終つた最初の體裁に※[#「にんべん+方」、第3水準1−14−10]つて作つたのではなくして、死也で終るやうに附加された後の體裁に※[#「にんべん+方」、第3水準1−14−10]作したといふことが分る。此篇は一篇中前後兩節に分け得るやうに出來てゐて、前半は主として詩書に見えてゐる疊辭の解釋であるが、後半即ち朔北方也以後は頗る雜になつてゐる。尤も前半も其の末の方即ち子子孫孫引無極也以下の部分は其の前と體裁を異にし、前の部分は疊辭の解釋とはいへ、猶其の釋しかたが簡單であつて、釋詁釋言に近い體裁を存してゐるに反して、子子孫孫引無極也以下は直接に其の言葉の解釋をするのではなくて、頗る詩序の體裁に近くなつてゐる。それから後半の中で前の部分は既に書傳若しくは春秋公羊傳などの解釋を含んで居り(一)[#「(一)」は自注]、又或る部分は全く今日の大學の文句そのまゝである。即ち如切如磋道學也から有斐君子、終不可※[#「言+爰」、第4水準2−88−66]兮、道盛徳至善民之不能忘也までがそれである。又後半の末の部分は
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