滕文公篇に舜のことを書いて古書を引いたらしく思はれる文があつて、それは從來の學者も既に注意して舜典の一片であらうとまでいはれてゐるが、其の中に鬱陶の字が見えてゐるのである。それで最も多く詩書の語を含み、詩書以外の語を餘り含んで居らぬ釋詁篇に鬱陶の字が見えてゐることは、それに依つて從來の學者の舜典の一片であらうと云ふ説が多分當つてゐると考へ得られるのである。勿論これは互訓の證據とすべきものが無いのであるが、恐らく徂落とか都とかいふ文字と同じ時に釋詁に増入せられたものに相違無からうと思ふ。
 釋言篇は大體釋詁の體裁に倣つたものであるが、其の篇首の殷齊中也といふ一句は、此篇の出來た頃の時代思想の特徴を表はしてゐるとも謂ふべきものである。釋地篇の九府の條に東西南北其他八方の産物を擧げて、最後に中有岱岳、與其五穀魚鹽生焉とあるに依つても、岱岳の附近を支那の中央と考へる思想が或る時代に存在してゐたことが分るのであるが、これと一致した思想は又同じく釋地篇の四極の條に、距齊州以南、戴日爲丹穴、北戴斗極爲空桐、東至日所出爲大平、西至日所入爲大蒙とあつて、郭璞も齊中也と注して居り、齊州とは即ち中州といふ意
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