て後から附益せられたと思はれる一節の中に見えてゐるのは注意すべきことである。然かも徂落とか都とかいふ文字は決して當時の通用語ではなく、何か古語か若しくは方言かであつて、其の一般に行はれたらしく思はれぬ語であることも注意すべきである。これらの點に依つて典謨の諸篇が晩出の書であるといふ疑問をも生じ、又その晩出の書は多く務めて古語若しくは方言の如き通用語ならざるものを含んでゐて、其の書が最初の爾雅よりも以後に現はれて來たのではないかといふことが考へ得られるのである。猶ほ之と相關聯して考ふべきことは平均夷弟易也とある一節の中の弟の字である。此の字は堯典の中に古文では平秩東作とあるのを、今文には平秩を便※[#「豊+弟」、29−16]に作つてゐることに依つて、今文の方の文字が爾雅に見えてゐるといふことも考へられ、又同時に此の弟の字なども所謂互訓といふ重複の證據はないけれども、矢張り後來の附益でないかとも考へられるのである。それから又鬱陶※[#「鷂のへん+系」、第3水準1−90−20]喜也の一節に就いて考へねばならぬことがある。それは鬱陶の字である。この字は今の尚書には見えて居らない。然しながら孟子
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