した。沈侯とはこの沈約のことであります。それから劉善とありますが、これは劉善經の經字を略したのでありませう。それは後に委しく申上げる場合になると分ります。此の人は傳記は分りませぬが、其の人の著述のことは分つて居ります。其の人から後、王皎崔元、是は四人のことを言ひます。王と云ふのは前に申しました詩格を作つた王昌齡であります。皎と云ふのは唐の時の坊さんで皎然と云ふ人であります。此の人の作つた詩式といふのが、今でも其の中の一部分、ちぎれちぎれとなつて殘つて居るものがあります。それから崔と申しますのは、是は崔融と云ふ人だらうと思ひます。此の人の著述には矢張り詩文の格法を書いたものがあります。元と云ふのは元兢と云ふ人であります。此人にも矢張り詩の法を書いたものがあります。是等は皆唐の人であります。それで沈侯、劉善からして以後、王皎崔元までの間に、いろ/\四聲の議論が盛んであつて、さうして爭うて病犯を吐くと書いてありますが、四聲といふものは詰り謂はゞ日本で申せば唄の調子のやうなものであります。唄を唄つても調子が間違ふと音樂に掛らない。それで音樂に掛るやうにする爲に、いろ/\調子に就いて議論がありま
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