それはどう云ふ事を參考されたか、その本といふものはどう云ふ價値があるかと云ふことに就いて、少しばかり申して見たいと思ふのであります。
それは矢張り大師は此の文鏡祕府論を書かれる時に、其の序文に於て既にどう云ふ本を參考したかと云ふことは、大方御斷りは言つて居られます。大師の祕府論の序文の中に斯う云ふことを言つて居られます。
『沈侯、劉善が後、王皎崔元が前、盛んに四聲を談じて爭うて病犯を吐く』
といふことがあります。唯だ斯う申しては分りませぬが、沈侯と云ふのは人名であります。南朝の齊の時からして梁の朝まで掛けての間に沈約と云ふ有名な學者がありました。此の人が支那で四聲と申しますものゝ發明者と言はれて居ります。四聲と申しますのは、詩を作る方はどなたでも御存じですが、平上去入と云うて、平聲と云ふのは平らかな聲、上聲と云ふのは上げる聲、去聲と云ふのは下げる聲、入聲と云ふのは呑む聲、斯う云ふ四つに聲を分けて、有らゆる文字を其の四つの聲に嵌めて、さうして研究することになつて居ります。それは南齊の時分、永明年間からして、此の沈約などが唱へ出して、盛んに行はれたので、之を用ひた詩を永明體と申して居りま
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