の人の書風が、大師以前、奈良の朝に入つて居ると云ふことは、あまり時代が切迫して不思議なやうでありますが、遣唐使などが隨分往來して居りましたから、早く來て居つたものと見えまして、養※[#「盧+鳥」、第3水準1−94−73]《うがひ》徹定と云ふ人の舊藏で、今は西本願寺にある華嚴音義と云ふものは、日本で書いた字であると云ふことでありますが、其文字は、唐の初めの歐陽詢と云ふ有名な書家の書に似て居る。それで歐陽詢の書風が奈良の朝に傳はつて居つたと云ふことが分るのであります。それから歐陽詢の子に歐陽通と云ふ人がありますが、其の人の書と似た書を書いたものが、大阪の小川爲次郎と云ふ人の持つて居る金剛場陀羅尼と云ふ寫經があります。それから長谷寺にある千體佛の下に銘が彫つてあります。其の銘も歐陽通の字に似て居る。此の寫經なり銘文なりの出來た時代は、歐陽通の時代とは三四十年しか隔つて居りませぬが、既に日本に傳はつて居つたと云ふことが分ります。さう云ふ譯で日本には奈良の時代から初唐風の書が傳はつて居りました。けれども其の書風の段々傳はつて居る中で、特別に大師の書風と云ふものが、目立つて異つて居りますのは、唐の
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