方に於きましても、向うでは盛唐と謂ふ、其の時分に書風の一大變革を起しました。顏眞卿と云ふ有名な人が出て、新らしい書風を出しました。是は谷本博士も阮元の南北書派の議論を引いて、研究せられました。其の議論に就いては私は餘り贊成をせぬ所もあり、又贊成をする所もありますけれども、南北の書派の議論は阮元の一家言で、私は全部贊成を致しませぬ。其の事に就いては私は大阪朝日新聞に、「北派の書論」として、是は弘法大師の研究とは何の關係も無いことでありますが、南北の書派の議論を申したことがありまして、必ずしも一々阮元の議論に贊成すると云ふ譯には參りませぬ。從つて谷本博士の考とは多少違ふ點はありますが、併し違ふ點はあつても、兎に角一致する。何人が研究しても恐らく一致すると云ふ點は、唐の代に南北の書派が有る無しに拘らず、一大變遷がある。それは顏眞卿、徐浩などゝ云ふ人が起つた結果であると云ふことで、是は疑ひのない事實であります。それで弘法大師が日本に於て從來の書風と異つた所の、一種の書風を書き出されて、一代の書風に大いなる影響を及ぼしたと云ふことは、顏眞卿、徐浩などの書風が影響したのであります。是は谷本博士の考
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