の外にも大師が引用された本があります。それは矢張り現在書目に出て居ります所の文筆式と云ふものであります。文筆式を文鏡祕府論の中に引いて居るのであります。
 それからして又茲に斯う云ふことがあります。是は今日でも殘つて居る本でありますが、今日殘つて居る本に就いてさへも、大師の本が大變に大切な役目をすると云ふ證據をもう一つ申します。唐の初めに殷※[#「王+番」、第4水準2−81−1]と云ふ人がありまして、其の人の著述に昔から其の當時までの詩を集めた河嶽英靈集と云ふ本があります。是は今日でも殘つて居りますけれども、其の河嶽英靈集の序文を大師が文鏡祕府論の四卷目に引用されて居る。所が今日殘つて居る序文と少しばかり違つて居つて、大師の引用されて居る方が文字が百何字か多いのであります。即ち今日殘つて居るのは、文鏡祕府論に引いた時よりは百幾字か失つて居るのであります。それで今日殘つて居る本でありましても、それはいかぬ本で、大師の見られたものは其の當時の元の儘の本であると云ふことが分ります。それから大師が此の序文を引いて居るのには、詩の數が二百七十五首あるとしてあります。所が現在傳はつて居る河嶽英靈集
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