本國現在書目の中に殘つて居ります。併し唯だ本の名目があるだけで、崔融が作つたと云ふことは殘つて居りませぬ。大師の文鏡祕府論の中に崔氏とも書いてあるが、或る所には崔融とも書いてあるので、始めて是れが崔融の著述だと云ふことが分るのであります。詰り崔融が當時の詩の格式を著述したのでありますが、若し大師の文鏡祕府論が無かつたならば、其の人の名が分らぬ。よしんば現在書目で書名が分つても、誰れが作つたのか分らぬのであります。此の文鏡祕府論が今日殘つて居るが爲に、其の人の著述も分り、其の内容も分ることになつて居ります。
其の次は元兢と云ふ人で、此人には、詩髓腦と云ふ著述が一卷あります。此の本も新唐書の目録にも、舊唐書の目録にもありませぬ。日本國現在書目だけに殘つて居る。是も矢張り元兢と云ふ人が作つたと云ふことは、明かに分らぬのでありますが、幸ひ文鏡祕府論の中に『右は元氏の髓腦に見えたり』と云ふことが書いてあるので、元兢と云ふ人の詩髓腦を書いたと云ふことが分つたり、又内容が分るのであります。
つまり是等の本は皆其の當時大層必要な本として行はれて居つたのでありますが、若し文鏡祕府論がなかつたならば、
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