たか、弘法大師などが世の中に存生せられた時にはどう云ふ本が實際行はれて居つたかと云ふことを知るには、日本國現在書目を見れば分るのであつて、是は今日大變大切な本であります。
 所で元へ戻つて弘法大師が文鏡祕府論を作られるに就いて採用された本は、それ等の目録に載つて居るかどうか、それが載つて居れば、是は少しも疑ひのない立派な本だと云ふことは明かなわけで、斯う云ふ事は極めて現金なものであります。總て皆載つて居る。それで一番最初に申しました四聲のことを發明した沈約の四聲に關する本といふものは、それは元と一卷ありまして、それが即ち隋書經籍志に載つて居る。又沈約と云ふ名は出て居りませぬが、是は日本國現在書目にも勿論載つて居る。それから其の次に申しました劉善經と云ふ人の四聲指歸と云ふ本であります。四聲指歸と云ふ本は、是は隋書經籍志にも載つて居れば、日本國現在書目にも載つて居ります。さうして殊に大師は此の本は餘程丁寧に見られもし、又御好きでもあつたものと見えまして、文鏡祕府論の卷一の終りに、四聲論と云ふことが載つて居ります。是は紙數が六七枚ありますが、それは殆ど劉善經の四聲指歸から全部拔書きをされたと
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