『冷然院』と書いて居つた。其處に澤山な書物があつたが、それが燒けた。現に此の現在書目には冷然院と書いたものを使つて居ります。所が冷然院が火災に罹つたのは、此の『然』と云ふ字は、下に四つ點が打つてあります。是は烈火と云うて火と云ふ字である。冷然院は下に火が附いて居るので燒けたと云ふので、それから後は冷泉院と改めたと云ふことであります。兎に角冷然院には澤山の本があつたが、平安朝の初めに火災に遭ひまして、大分本が燒けました。其の後に又段々本をいろ/\集めて、其の時に『日本國現在書目』といふ支那の書籍目録を作つたのが即ち是れであります。是は即ち唐の末頃の時に出來ましたのでありますから、唐の末頃までに日本國に傳はつた書籍で、其の時に日本に現在あつた書籍は、是に載つて居るから分ります。それで支那人も此の日本國現在書目を、隋書の經籍志とか、新唐書の藝文志とか、或は舊唐書の經籍志とかに對照致しまして、其の中に拔けて居るものが、此の日本國現在書目に載つて居ります。即ち新唐書なり舊唐書なりを作る時に、既に無くなつて仕舞つた本が是れに載つて居ります。幸に日本には此の書目があるので、唐代の當時どう云ふ本があつ
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