ます。所で其の消すといふ字を其原本では、皆金偏にして銷の字を使つて居りまして、『之を銷す』と書いてある。『銷』の字を、或る處では出版になる時に誤つて『錯』と云ふ字にしてあります。『之を銷す』と云ふことを誤つて『之を錯る』と云つて居る。それを弘法大師全集を出版される時に、元からある本の儘に『之を錯る』と書いてある。是は『銷』と云ふ字の訛りであると云ふことも斷はつてありませぬ。これは校合された方が御見落しになつたことゝ思ひます。斯う云ふことがありますから、弘法大師のことを研究される方があると、私共のやうな專門家でないものでも、其の誤りを見付けますから、隨分面白いことが出て來ると思ひます。私も此の本を徹頭徹尾十分研究したのではありませぬが、從來愛讀して居つた本でありますから、唯だ氣の着いた所に朱を入れて置いた分を、今日御話をしたに過ぎませぬ。願はくば弘法大師を研究される方も、或は日本文學若くは支那の文學を研究される方も、一層綿密に其の研究を進められたいと云ふことを希望するのであります。文鏡祕府論に關係したことは、先づ是れぐらゐで終ります。
 それからもう一つは是は谷本博士の研究中にも、其の當時多分氣が着かれてあつたと思ひますが、御話になつては居りませぬものに就いて一つ申上げます。それは篆隸萬象名義と云ふ本であります。此の事に就いても實は弘法大師全集の編集を爲された御方に私は不足を申上げたいと思ひます。それは篆隸萬象名義と云ふ本は、隨分少ない本で、栂尾の高山寺に其の原本があります。其の他二箇所ばかりにそれから傳寫した本があります。私は此の本に就いては大變に興味を有つて居りまして、今から十年程前に寫して居ります。それが今日こゝに御目に懸ける六册の本であります。是は私のやうな別に眞言宗の信者でもなく、弘法大師の研究者でもない者が、こんな厚い六册もある本を何故に態々寫して置かなければならぬ程のものかと云ふことを申せば、自然どれだけの價値があるかと云ふことが分ります。
 それで此の篆隸萬象名義と云ふ本は何かと云ふと、是は支那の字引の拔書であります。此の事に就いては先程申しました楊守敬なども餘程注意をして居つて十分に其の價値を言うて居ります。どう云ふ所に價値があるかと云ふと、それを申しますには少しばかり支那の字引の歴史を申さなければならぬから、極く簡單に申しますが、支那の字引と云ふも
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