支那に生れて、詰り當時の試驗と云ふものは、どう云ふものであつて、どれだけ規則が重きを爲したかと云ふことを十分に知りませぬから、それで唯だこんな管々しいことを澤山書いてあると云ふやうに言つて居りますけれども、詰り其の時勢から申しますと、さう云ふ規則と云ふものが、既にそれだけ大切なものである。
 所で其の規則に關係した種々の書籍の中に於て、大師が茲に採用された本は、それではどれだけの價値があるかと云ふことになります。さう云ふ事になりますと、是は又當時のいろ/\の書籍を調べることに就いて溯らなければならぬ。それには又道具があるのであります。支那では代々歴史を編纂します。支那は革命の國でありまして、天子の血統が時々變りますから、天子の血統が變りますと、前の代の歴史を編纂します。其の編纂する時には、大抵昔から前の代まで保存されて居つた書籍の目録を作ることになつて居ります。是は面白いことであります。それで唐の時代には其の前の隋の代の歴史を作つて居る。其の時に隋書の中に昔から隋の時まで行はれて居つた本の目録があります。それは隋書の經籍志と申します。經籍を記録したと云ふ意味でありますが、それには上古から隋代まで行はれて居つて、隋代まで保存されてあつた書籍の目録が附いて居る。それで詰り隋の時まで保存された本の目録と云ふものは、大抵一通り分ります。勿論それは遺漏が無いことはありませぬ。それからして其の次の唐の代に實際行はれて居つた書籍の目録と云ふものは、唐が亡びてから作つた唐書と云ふ歴史に載つて居る。是は二通りありまして、新唐書、舊唐書と申しますが、舊唐書と云ふものには矢張り隋書と同樣に經籍志と云ふものがあります。新唐書には、藝文志となつて居ります。詰り上古からして唐の代まで殘つて居つた本の目録と云ふものは、經籍志なり藝文志なりに載つて居ります。其の目録に載つて居る本は、詰り相當に勢力のあつた本と云ふことが明かに分ります。それで古い學問をする人、殊に古代の書籍のことを調べる學問をする人は、隋書の經籍志、舊唐書の經籍志、及び新唐書の藝文志などと云ふものを大切なものと致して、此の三つの目録に依つて、古い書籍を調べる例になつて居ります。それで詰り大師が茲に採用された書籍に於きましても、此の三つの目録で、其の當時行はれて居つたか、行はれなかつたかと云ふことを檢査するのが、古いものを調べる一つの
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