法則になつて居ります。
 所がもう一つ斯う云ふ事があります。唐の代などゝ申しますと、二三百年繼續して居りまして、唐の代の歴史を作るのは、唐の代が亡んで仕舞つて、次の代に作るのである。それで唐の代には相當に盛んに行はれた書籍であつても、唐書と云ふ歴史を作る時は、どう云ふ譯か書籍が無くなつたものが隨分尠からぬものである。さう云ふやうに唐の代にあつた本でも、唐書の中に載つて居らぬ本の研究をするのには、又どうかしてしなければならぬことになつて居る。それで支那でもいろ/\方法がありますが、日本ではさう云ふ事を調べるに都合の好い本があります。是は日本の本でありますが、支那人などに非常に大切にされるものであります。それは『日本國現在書目』と云ふ本であります。今日の現在書目ではありませぬ。是は平安朝の時に儒者の家柄でありました、南家の儒者の藤原佐世と云ふ人が作つたものであります。是はどう云ふ譯で作つたかと云ふと、日本では支那から段々澤山の書籍を輸入して、之を研究して居つた。日本では其の當時から非常に支那の學問が盛んでありました。所が嵯峨に冷然院と云ふものがあつた。冷然院とは今は『冷泉院』と書くが、昔は『冷然院』と書いて居つた。其處に澤山な書物があつたが、それが燒けた。現に此の現在書目には冷然院と書いたものを使つて居ります。所が冷然院が火災に罹つたのは、此の『然』と云ふ字は、下に四つ點が打つてあります。是は烈火と云うて火と云ふ字である。冷然院は下に火が附いて居るので燒けたと云ふので、それから後は冷泉院と改めたと云ふことであります。兎に角冷然院には澤山の本があつたが、平安朝の初めに火災に遭ひまして、大分本が燒けました。其の後に又段々本をいろ/\集めて、其の時に『日本國現在書目』といふ支那の書籍目録を作つたのが即ち是れであります。是は即ち唐の末頃の時に出來ましたのでありますから、唐の末頃までに日本國に傳はつた書籍で、其の時に日本に現在あつた書籍は、是に載つて居るから分ります。それで支那人も此の日本國現在書目を、隋書の經籍志とか、新唐書の藝文志とか、或は舊唐書の經籍志とかに對照致しまして、其の中に拔けて居るものが、此の日本國現在書目に載つて居ります。即ち新唐書なり舊唐書なりを作る時に、既に無くなつて仕舞つた本が是れに載つて居ります。幸に日本には此の書目があるので、唐代の當時どう云ふ本があつ
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