まで、史學、文學の門徑として之を推稱したれども、我邦にて之に注意したる學者は幾んど之なきに、敬首和上のかくも此二書を推稱せるは、以て其の讀書眼の卓拔なるを見るべし。胡元瑞の筆叢は、其の書き方の氣のきゝたる割合に、内容に乏しき書なれども、其の博覽にして能く之を要約せることは、明代の一人ともいふべき人なれば、和上の如き頭腦の鋭敏なる人が之に惚れ込みたるも無理ならず。ともかく其の渉覽せる萬卷の書中より、此の三書を擧げて門弟等に示せるは、和上の非凡なる識見によるものといふべし。次に目録の專書としては、崇文總目、鄭樵の藝文略、焦弱侯の國史經籍志を擧げたり。而して佛教の目録に就ては
[#ここから2字下げ]
佛者一代藏經と名て其目録あり甚だ非なり予此れを正むと欲す
[#ここで字下げ終わり]
といはれたるは、その單に索引を主として著述流別の原則に合せざるを遺憾とせられし者ならん。又
[#ここから2字下げ]
中華の書には一種に頗る多板あり故に一板を見て即ち是とすべからず必ず善本を得て校合すべし
[#ここで字下げ終わり]
といはれ、既に校勘學の必要を説かれたり。尤も校勘學に於ては、儒家に於て徂徠門下に當時
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング