、其書今存するや否やを知らず。又其書は自ら筆を執りて記述したるにあらずして、其の弟子天心の筆記に成り、而も其の歿後に刊行せられたれば、往々筆者の誤と見ゆる處あり。(例へば支那の府志の中に雍州府志を擧げ、呂氏春秋の注者高誘を※[#「嫡−女」、第4水準2−4−4]誘と記せるが如し)時として著者の意見にも如何はしく思はるゝ節もなきにあらざれども、要するに其の人に絶せる炯眼を具して、博覽の餘に自然に著述源流の學を、髣髴として把捉し得たる者なることは、疑ふべくもなし。
今その書中、緊要の章句を少しく抄録せんに、云く、
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一切の書を見るには先づ題號を解するを簡要とす次には其の書の部類を分別すべし
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是れ目録學の綱領を摘出したる者なり。又云く、
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史通。文心雕龍。筆叢は常に左右を離ことなかれ中にも筆叢は書の中の寶書也學者これを讀ば知識十倍すべし
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支那にては明の中世、揚愼、陸儼等より以來、史通、文心雕龍二書を愛好する學者多くなり、最近、張之洞の※[#「車+鰌のつくり」、第3水準1−92−47]軒語等に至る
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