益といふ人がありまして、學問詩文とも一代に秀でた人でありましたが、自分の藏書の場所を絳雲樓と申しまして、そこに古銅器などをも澤山列べてあつて、其の閑雅な趣味多い生活を助けるものは、詩文の能く出來る有名な妾、柳如是といふ者でありました。その中に明が滅びた時に、妾は氣の勝つた女で、お前は明に仕へたものであるから、この際は明國に殉じて死んだらよからうと言ひました所が、よく考へさしてくれといふので、考へて見るとどうしても死なれないと妾にあやまつた。妾は怒つておれが死んでやらうといふので池に飛込んだといふ話がある。勿論妾も死にはしませんが、近代の支那の生活要素にはかういふへんなものがありまして、讀書人の好みを魅惑する。支那人はその魅惑に克たれない。克たれない程支那の生活には、肉欲的なものと同樣に、非常に古代趣味が出來て來て居る。日本では金持が時々古銅器を何萬圓で買つたとかいふやうなことを言ひますが、これは金の代りに持つて居るやうなもので、本當に古器物に魅惑されて持つて居る人はありませぬ。日本でも趣味に魅惑される人間はありませうけれども、支那が餘程著しい。その生活は餘程一種特別なものであります。
 第五 は、支那といふものが非常に土地が大きく、それからどつちかといふと交通が非常に便利、近頃支那に行く人は、支那には汽車は少し汽船も少し、非常に交通が困難だといひますけれども、その汽車も汽船もなかつた日本の徳川時代と比べて見たら、支那の方が遙に交通が便利であります。北京から杭州までの間に大きな運河が通つて居りまして、船が通つて何百里といふ道、日本だと青森から下關位まで行く道を、小さい舟に乘つて行けます。さういふ便利な交通は日本にはない。日本人は京都から東京までの間の旅行でも、昔は箱根の山を越さなければならぬ、中仙道を行くと碓氷峠を越さなければならぬ。尤もさういふ不便を奇貨として發展した江州商人といふものがありまして、京都と東京の間を歩行して金を儲けて居りましたが、もう二つも箱根があつてくれたら、もつと儲かるといふやうなことを言つたといふことであります。兎に角さういふことで、支那は餘程便利であります。ヨーロッパでも、其中に高い山があつて、何處に行くにも山を越えなければならぬが、支那は境域が廣く、交通が便利で、その爲に特別の生産事情があつた。日本の徳川時代には、各藩で國産獎勵をやりましたが、さういふことは日本のやうな交通不便な國は出來るが、支那のやうな交通便利の國はそれが出來にくい。生産上、地方の最も便利な處、最も特別な重要な特産物を持つて居る地方にはかなはない。それで支那には地方によつて特産物が盛に起りました。織物でいふと蘇州、杭州とか、南京とかいふものに、何處の織物が競爭しても勝つ事が出來ない。交通が便利であると、商談が發達する爲に、僅少の運賃で特産物を各地に送ることが出來ますから、遠方の地方などで織物を獎勵しようとしても、迚もその特産地と競爭して獎勵しきれぬ。さういふやうに、支那では地方の特産物が發達しました。それから又一方には、さういふ便利がある爲に、食物でも、着物でも、建築材料でも、何でも近いものを尚ばずに、遠方のものを尚ぶといふことが出來て來ました。支那人がよく申します遠物を貴ぶといふことになりました。それは支那は國が廣いのと、交通の便利なのと、海外交通まで便利な結果出來るのであります。それが五であります。

          五

 この五つの要素がつまり近代の支那の文化生活の要素であります。極くあらく申しましたからお分りにくいでありませうけれども、これで衣食住より、政治、道徳、趣味等の社會的事情にも及ぼして、大體支那人の近代的生活は如何なるものかといふことを申したつもりであります。それで支那人はこれ等の事情に共通する所のものから、自分の生活に對してどういふことを最も要求するかと申しますと、生活の安定して居ること、それから生活にいろ/\な複雜な趣味があつて魅惑的であるといふことを要求します。それから自分の生活が外の國より優越して居ることも要求します。さういふことが支那の近代生活の特色といつて宜いのであります。
 さういふ風に申しますと、直ぐ日本の少し學問などを研究した人は、それが支那の國民性かと直ぐいはれます。それは私は保證しませぬ。國民性といふことゝ、それから時代相といふことを區別するのは大變困難です。日本は今の所、支那と大分生活の方式が違つて居りますが、日本も四千年になつたら支那と同じやうになるかも知れない。さうして見ると、支那の國民性と思つて居つたことは何百年、何千年の後になると日本にも出來る。そんなことは今日から容易に定められない。近頃の研究家は、動もすれば支那の國民性といふことを言ひたがりますが、私はその方は安請合をしないつもりであります。でありますが、どうかすると世界の民族生活といふものゝ將來の暗示を、支那の状態によつて得らるゝといふことは有り得ると思ひます。併し國情が現在のやうに混亂して居るといふと、又今までの歴史や事情で考へたことが屡々引くり返つて、近代の支那を研究して居る人は皆閉口して居る。今までいろ/\材料を揃へて結論を付けて見ると皆引くり返つてしまふ、こんな筈はなかつたと思ふが皆引くりかへる。これで屡々支那通のいふことはちつとも當てにならぬなどゝ世間から言はれますが、それは實は學問をしない人の淺はかさで、もう二十年か三十年待つて見ると、一定した近代生活の事相が出て來る。結局は支那人といふものは、自分の優越性を大變認めて居る國民でありますから、ロシアの眞似をして見たり、その前は日本の國會政治を學ばうとしたりしましたが、結局支那人は自己の優越性を認めて、やはり從來の支那式にする方が宜いといふことになりはしないかと思ふ。それが支那の近代生活から支那の運命に對して考へた極く貧弱な結論であります。
[#地から1字上げ](昭和三年七月東亞同文會講演會講演)



底本:「内藤湖南全集 第八卷」筑摩書房
   1969(昭和44)年8月20日発行
   1976(昭和51)年10月10日第2刷
底本の親本:「東洋文化史研究」弘文堂
   1936(昭和11)年4月発行
初出:東亜同文会講演会講演
   1928(昭和3)年7月
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年8月7日公開
2006年1月16日修正
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