又全體の財産の自由をも認めて居る。それは王安石の後に行はれたのでありまして、これも後に弊政だといふことになりましたけれども、手實法といふものを實行しました。それは人民に自分の財産はどれだけの値段がありますといふことを自分で申立てさせる、丁度所得税を取るときにその所得額を申立てるやうであります。さうしてそれに對して二割といふ税を課することにした。これは實際は官吏が横暴で、今日の營業税などの如く、官吏が横暴に額をきめる弊がありまして、官吏が勝手に額を決めて重税を課しましたけれども、制度の精神としてはさうでないので、人民が自分で私の財産は何千圓なら何千圓の値打がありますといふと、その内二割を税に取る。それは一方から考へますと財産といふものゝ自由を認めて、さうしてそれに對する税を課するといふ意味になります。
斯ういふことで人民の所有權を認めて居ります。その前は謂はゞ人民の財産といふものは國家が自由にすることの出來るものだといふことでありまして、人民に本當の所有權が有つたか無かつたかといふことが問題であります。尤も歴史的に言へば、この新制度も王安石の時に一遍に生じたのでなくて、だん/\さうなつて來て居るので、その歴史を話せば長いことでありますが、兎に角斯ういふことが王安石の新法ではつきり致しました。さういふことで、人民の私有といふことの明白になつたのが、私は近代の内容のはつきりした事情の一つと思ふ。
これが物質的のことばかりでなくして、精神的のことにも及んで來ました。大體漢から唐までの學問といふものは、先生から傳へられたことを守つて、それをだん/\解釋をして演述して行くことは出來るけれども、傳來した師説に背くことの出來ないのが漢から唐までの學問のやり方でありました。それが唐の中頃から自由研究といふものが起つて來たのでありますが、唐の時にはその芽生えが出來た丈けでありまして、宋の時にその自由研究の精神が盛に起りました。それで昔から在る所の經書などに致しましても、傳來の説を守らぬでもよくて、自分の考で新しい解釋をして少しも差支ないことになりました。それが平民時代の平民精神が學問に入つて來たのであります。貴族時代は家系の傳來を重んずると同樣に、學説も傳來を重んじて居りましたが、それが宋の時代になつて自由研究になつた、さういふのが平民時代の特殊な状態であります。
更に藝術の事に
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