それはどういふことかと申しますと、王安石といふ人が青苗錢といふ法を行つた。これは簡單に申しますと、米を植ゑ付ける前、苗の時に人民に金を貸付けて、收入のあつた時に利息を附けて返還させる法であります。これが善い法であつた筈であるのに、結果が惡かつたのでありますが、それが大變面白いと思ひます。平民に金を貸付けて平民が利息を納めるといふのは、平民の土地の所有を認めて居ると同じこと、それによつて政府が平民の土地所有を認めて居つたのであります。それも詳しく申さなければ十分に分りませぬが、先づ簡單にいへばさうであります
 それからその次は勞働の自由であります。これも王安石の時に定まりました。それは唐代の支那の勞働に關する政治といふものは、日本にもありました租庸調の法といふのがあります。租は地租であります、調といふのは織物などを納める税であります。その中に庸といふのが勞役を政府に對して供給する義務であります。即ち一年に幾日か必ず政府の勞役に服さなければならぬ。勞役といふものはつまり人民の義務であつて、政府から命令されると拒むことを得ないものでありましたが、王安石は之を代へて雇役といふものにしました。さうなりますと政府がどれだけの賃銀をやるから勞働の募集に應じないかといふことにしまして、さうしてそれに對して人民は賃銀を貰つて働くまでゞ、人民が勞働したくないものは應じない、勞役したい者が應じて賃金を貰ふのでありますから、これは勞働の義務でなくして勞働が人民の權利になつて自由になつて居ります、即ち勞働の權利を人民に認めて居ります。
 それから商工業の生産品の自由を大體宋代に認めて居ります。それには和買といつて、人民と政府と相談づくで人民の持つて居る物を買ひ上げるといふことがあります。これは王安石以前からある法でありますが、政府から春に錢を人民に貸して置いて、夏秋に至つて其代りに絹を官に出さすのでありますが、これは名義は合意でありますけれども、其後になつては官より無理にやらすことになつて、一種の弊政となつたのは實際であります。けれども制度の立て方は、人民の持つて居る物を政府が合意の上に買上げるといふことでありました。王安石は更に市易といふものを考へた、田地絹物などを抵當として政府から約二割の利で金を借る法であります。それらは皆人民の物品の所有權が確定されたやうなものであります。
 それから
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