※[#「骨+低のつくり」、第3水準1−94−21]骨がある位のものと私は考へて居る。昔の貴族は政治の外にいろ/\高尚な生活をして居りました。貴族には學問もあり、藝術もあり、工藝もあり、いろ/\な生活要素を持て居りましたが、平民といふものは支配される一方であつて、さうして君主といふものは謂はゞ支配する一方であつて、共に至つて簡單な生活を營ませられて居つた。それで平民が哀れなものであると同時に、君主も隨分哀れなものであつた。君主はいろ/\な道徳を強ひつけられて、人間なみの欲望を遂げる機會が至つて少い程に強ひつけられまして、さうして纔かに生活をして居つたので、それで君主と人民とは生活が至つて貧弱になつて居たのであります。
それが平民時代になつて來ますと、だん/″\平民の生活の要素が豐富になつて來ます。平民が人に服從する爲の必要でなく、自分の生活の爲に道徳を必要とするやうになり、平民が知識を持つやうになり、平民が趣味を持つやうになつて來ました。斯ういふことは貴族時代には平民には大して必要がなかつたのみならず、又持ち得なかつたものであります。貴族時代には平民は唯税を搾り取らるゝ道具みたやうなものであつたのでありますが、それがだん/″\銘々に貴族が持つて居つたものを持つやうになつて來た。こんなに私が申しましても、極めて簡單な説明では納得しない人があるかも知れぬのみならず、それは歴史をやらない人ばかりでなしに、歴史家の中でも、此の政治の重要性減衰に就ては、特に支那歴史家に隨分反對論があり得るのであります。併し反對する人は政治を人間生活の重要な要素だと考へて居る人でありまして、さういふ人は政治が動物生活の延長だと考へて居らぬのであらうと思ひます。それを分り易く申さうと致しますには、民政の意義が古代と近代とに於て相違して居ることを明らかにせぬばなりませぬ。漢あたりの民政といふものは、純粹に人民を正當に治める爲の仕事で、善き民政官即ち循吏といふものが、史記とか漢書に特別の傳を作られてありますが、さういふ人達がどういふことをして居つたかといふと、丁度大岡裁判などのやうなことをやつた人が多いので、先づ良い裁判をやつた事、それから地方の人民の中で暴威を揮つて威張る者を抑へ付ける事、又人民の租税などを寛大に公平に取る事といふ位なものでありまして、官吏といふものゝ仕事が至つて簡單であります。古
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