詳しく申しますが、兎に角斯ういふことで、總て宋以後は政治でも、學問でも、藝術でも、工藝でも、汎ゆるものに平民精神が入つて來て居る。是が近代の一番大事な内容と思ひます。
 それで私は平民時代即ち近代といふものを宋以後として居ります。唐の末から五代までの間は、前の貴族時代から平民時代に入る所の過渡期でありまして、貴族の崩れる時代でありますから、これは貴族時代でもない、平民時代でもない、その中間の時代で、兎に角宋の時代から平民時代といふのであります。其後元代に蒙古が支那を取つた時分などは、多少古代復活といふやうな姿が見えたことがありますが、それは蒙古人のやうな文化の程度の低いものが來て支配權を有つたものでありますから、支那でいへば古代的精神を支那の近代に復活しようとする傾がありますので、幾らか異つた情態になりましたけれども、元は僅か百年位で終り、それから明清となりますが、此に至つて平民精神が又盛になつて、どうしても昔の貴族時代には戻らなくなる。これが即ち近代といふものゝ要素の一番大事なもので、即ち平民發展といふことが其れだと私は考へて居ります。

          三

 それから第二は政治の重要性減衰といふことであります。つまり民族なり國なりの生活要素の中に、政治といふものが昔は相當に重要なものでありましたが、それがだん/″\政治が重要であるといふ性質が減衰して來るといふことで、政治が民族生活の主な條件ではなくなるといふことであります。政治のみが民族の生活の最も主な條件だと考へて居つた時代が過ぎ去つて、さうしてそれが平民時代に變つて來るといふことであります。
 世の中の人は今日でも政治に熱中するのでありまして、何を措いても政治といふものに就てはやかましいことでありますが、私は政治といふものは人間の生活の中では原始的の下等な事だと思つて居ります。政治といふものは人間にばかりある譯でない。政治の主なるものは支配といふことでありますが、支配といふことを理解して居るのは決して人間ばかりでありませぬ。蜂とか蟻とかいふものは立派な支配權を持つて居り、牛や犬なども大なる支配權を持つて居ります。支配といふものは一體動物生活の、近頃の言葉で申すと延長です。それで人間の生活の中で政治といふものは必ずしも最も重要なものでないのみならず、これは動物時代から續いて來て居るので、たとへば人間に尾
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