のを持つて來た者が、それが日本に住つてさうして兵主神社といふものが其處らぢうに擴まるやうになつたのではあるまいか。それで兵主といふものは強ち丸で武の方に關係がないといふことは言へませぬ。それは射楯の兵主神社、射楯の神社といふものがありますが、日本の射楯の神社といふのは多くは素盞嗚|五十猛《いそたける》の神と考へられた。是は武の神の猛烈なる神さんで、それが射楯神社となつたと考へられて居つた。其の素盞嗚尊と支那の秦氏との關係は喜田博士に頼む方が宜いので、私がそこまでやると領分を侵害することになるから止めて置きます。兎に角兵主神社といふものは八千矛の神だから兵主といつたのでなくして、之に限つて何とか難かしい古い日本語の名を呼ばずに、延喜式の時代から音で兵主《ひやうず》神社と呼んで居ります。であるから支那から持つて來たので音で呼んで居るのでないかと考へられる。それで是も外國から來た神の中に加へたいと思ふ。
此の二つは外國から來た神樣のことでありますが、もう一つ近畿地方に多數ある神樣で、日本の大變偉い神樣に關係のあることでありまして、今まで餘り人が問題にして居りませぬですから、私には判斷をする
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