が元祖、貴須王が中頃の王でえらく仕事をしたといふに過ぎませぬけれども、支那の歴史上の話では仇台《くど》といふ人は矢張り開闢の偉い王であつたと考へられるものと思ひます。仇首即ち久度で久度が大變大事な神であつて、それで聖明王の家柄、桓武の皇太后の家柄では聖明王と同じやうに仇首を尊んだもので、後に日本の音で久度といふ文字になつて來たものと思ひます。是は矢張り百濟の王だらうと思ふ。
 次に古開といふものは伴信友も持て餘して居る。私も少々持て餘す神であります。是が古開かどうかといふことさへ疑問であります。伴信友の説では「開」の字だか「關」の字だか分らない。假名の付たものに「ふるあき」といふのがあつたからさうしたので、何か分らないといふことになつて居ります。それで私も色々な異説を出して見ようと思ふ。「古關」の方で考へて見ようと思ふのであります。神樣を玩弄にするやうで相濟みませぬけれども、ともかく考へて見たいと思ひます。それは古と關とは之を一つにしても、或は二つにしても差支がない。二人の人を一人に、一人の人を二人に分けたやうなことが外にもあります。日本の姓氏録にある貴須王といふ王さんでも陰太貴須王と
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