は都尉や縣尉といふものを大變に偉いものだと思つて居りましたから、尉といふ語を自分の頭に冠るのが皆大變偉いことゝ思つた。日本でも左衞門尉とか右衞門尉とか左兵衞尉、右兵衞尉といふやうなものは朝廷では極く低い官ではありますが、それが鎌倉時代頃に田舎へ行くと豪族などは偉いものだと思つて、何兵衞尉と名のることを大變名譽であると思つたと同じことであります。尉の字を冠るのが名譽として居つたので、それを名前の上に付けたので、名前は仇台であります。三國史記には又優台ともしてありますが、是は尉仇台のつまつた音だと思ひます。兎に角仇台といふ者が夫餘並に百濟で國を起したといふことが昔からあるのであります。其の名前の人は後になつても偉い王が出て來ると屡々現はれて來ます。詰り仇首も仇道も同じ音であつたので、「くど」の音であつたと思ひます。又仇台が「くど」と讀まれるのは、「台」の字は日本紀などには「と」と讀んであります。それで仇台も「くど」仇首も仇道も「くど」で其の音がどうかした關係から、貴首又は貴須とも響くのでありますが、要するに「くど」といふ音の變化だと思ひます。それで今日朝鮮の方に遣つて居る歴史に據ると、温祚
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