ではありませぬけれども、桓武天皇樣の母、皇太后の又母方の家の神樣だ、比※[#「口+羊」、第3水準1−15−1]神といふのは母方の神樣だと斯うしました。多分久度神といふのは、今の竈のことを私の國などでも「くど」と申して居りますが、竈の神であつて同時に大和の國で桓武天皇の皇太后の母方の家の方で祀つて居つた竈の神があつて、それを勸請して來たとある。斯ういふ考へである。兎に角其の中、今木神といふのは聖明王に違ひないと考へた。是は餘程面白いことでありますけれども、それは誰方でも國書刊行會の伴信友全書を御覽になりますれば分りますから、私がくはしく述べる必要はありませぬ。併し伴信友の考證に幾らか不滿足なことがありますので、それに餘計なことを付加へて見たいと思ふ。
それは今木神といふのは大和の地名だと考へた。久度といふのも方々にありますから矢張り地名と稱してあるのであります。併し大和邊りで新漢《いまきのあや》とか何とかいふことがありまして、新《いまき》といふのは或る氏が今外國から新らしく來た、今來た所の種族が居つたので、それで「いまき」の何某といつたので、元來は今來とも書て、今木といふのは地名でない
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