が學變に就て立言する所を聽け。
歐洲思想變遷の史蹟を鑑みるに、羅馬統一以前は、別に是れ一個の世界にして、其の循環に於ても、亦國各々特に一期を始終して、全局の他期と相關かること少ければ、姑らく此に論ぜず。羅馬帝國の統一は、實に基督の教、プラト、アリストートルの學と融和して、思想世界を統一すべき準備たりしが若し、故に神聖帝國が土崩瓦解せし後に至りても、教權の高大は少しくも損傷せずして、新たに生ぜる諸國民の思想を一に繋ぎしこと久しきに渉れり。固より此時に當りて、氣運の然らしむる所、教權の統一も亦政權の統一の若く、專制獨裁の状態たり、專ら人の精神を支配することを勉めずして、驀地に其の外形の儀式文爲を是れ整ふるの弊は免れざる所なりしと雖も、教法の任に當る者が宗教經綸の觀念に神旺して、其職を以て有形無形すべての現象を統紀すべき者と信じ、而して其法を以て此職を盡さしむるに足る者と信ぜしこと、一般の氣風たりしに疑なきなり。故に地球を以て天體の中心とし、人類を以て動植の中心とし、中心を求むるの氣習は、此時代の理論に於て、到る所皆然り。その宗教統一を原因として、他の諸現象を結果とせんは、獨斷に過ぐるの恐れ
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