る各節は盡く重沓して、其の目に觸るゝは、圓環と異なることなかるべし、意ふに地球の行程は複雜無窮の螺旋環たるべくして、固より單一なることを得べからずと雖も、其の人類が知識せる短距離の間に在ては、單一なる者と大差なく見ゆるが故に、螺旋環の無窮なる新行程を經る者も、旋轉の次、復た故路に復るの觀あることは、故なきの謬想とせず、是れ知る、限なき時間を經過する歴史的變遷、所謂天運が、唯是れ循環と看做さるゝことの亦復一理あることを。既に天運循環なる語のやゝ眞理の一偏を得たるを認めんには、無智妄信の一致が、研究解釋の分裂を經て、解悟心證の一致に歸するに當り、終の始と性質は則ち異なるも、其の所謂一致と云ふ者が、相類同するの當然なるも、亦因て知られん。唯だ一流の學者に在ては、專ら此理を智識の一途に求めて、道義若くは美妙の發達も亦然るを省せず、應用の範圍、小局に偏するの失を致せるを憾む。今若し之を擴充して、眞善美三つの者の極粹に達すべき路程の※[#「土へん+侯」、第4水準2−5−1]樹を※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]し來らんには、其間無限の興味あり、至大の作用あることを發明し得べし、且らく吾
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